クライストチャーチでの大切な思い出話。

 

クライストチャーチ大聖堂のパイプオルガン

 

初めての海外、ワーキングホリデービザでニュージーランド(5)

立派なパイプオルガン、夕方に大聖堂の中へ入るとその練習をしていることが多く、私はそれを聴きたくて、よく入って行っては椅子に座り長いこと過ごしたり、たまには真下まで行って、身体に直に降ってくるかのような音の響きを感じたりしていました。(地震でこのオルガンも使えなくなっているのでしょうか・・)

 

ところでクライストチャーチで忘れられない大切な思い出があります。

このブログの最初の方でちらりと書いた語学学校の校長先生のこと。語学学校へ通ったのはニュージーランドへ渡り最初の1ヶ月だけでした。その後はもう1ヶ月のホームステイとフラットでの生活の中、続けて大聖堂広場でオカリナを吹きバスキングをしていました。

ある日、吹いている私の近くに立ちこちらを見ている人に気がつきました。不思議なもので、見てくれている人が醸し出す雰囲気というか気持ちというか、「好意的に見ている」か、「なんだこいつ」と訝しく思い見ているか、というのはこちらに伝わってくるものです。そしてその日のその人は、それがなんだかよくわからないのです。気持ちよく見てくれているのかそうではないのかが掴めない。気になりつつ、でも向こうも何かしてくる訳でもないので吹き続けていました。そして何曲か続けて吹き、一区切りと思い間を開けたその時、話しかけてきたのです。

イミグレーションオフィスの人でした。「外国人はここでこういうことはしてはいけないよ」と。

私はバスキングとして吹いているので、足元に置いている帽子の中には気に入ってくれた人からの投げ銭が入っています。

それで私は拙い英語で、「私はワーキングホリデービザで来ているからいいのではないか」と聞きました。そうすると、「ワーキングホリデービザは雇われて働くのは可能だけど、これは君がここで仕事を起こしたことになるからいけないのだ」と。

うん、なるほど、確かに。それでも私はできることなら続けたいという熱い思い(!)があったのですが、とても私の英語力ではそれを伝えることはできないと思い、その場は「わかった」と言い、片付けをしてやめました。

そして、通っていた語学学校には日本人のカウンセラーさんがいたので、その方に、その足で相談に行きました。そうするとすぐにそのことを、私を応援してくれていた校長先生に話してくれたのです。

校長室で、話を聞き私たちの目の前で電話をかけ始めた校長先生。どこへかけてどんなやりとりをしているのか、全く聞き取れない私に、カウンセラーさんが通訳してくれました。

彼は今イミグレーションに電話して、

「 彼女は市民に雇われていると思えばいいじゃないか!」

と、説得してくれているのだと。

思い出し、こう書きながら胸がいっぱいになってきました。そう、校長先生はそうやってイミグレーションの人を説得してくれ、ではワーキングホリデービザの規則のように、一つの雇用主のもとで3ヶ月まで働ける、ということで、3ヶ月だけは許可しよう、ということになったのです。

そうやってすぐに行動を起こし、やりたいことを応援しサポートしてくれる校長先生とカウンセラーさん。

そして、例えば日本の役所仕事だったらほぼ間違いなくマニュアル通りにしか物を考えず、規則は規則、と相手にもしないであろうような事柄を、こちらや間に立ってくれている人の思いまでも汲み取り、妥協点を探し譲歩して、お互いが気持ちよく過ごせるように融通を聞かせてくれる仕事ぶり。

そして、大聖堂広場で直接私に話しかけてきたイミグレーションの方も、数曲吹き終わるのを待ってでも切りのいいところで話しかけてくる、そのスマートな、マナーのあるやり方。

こんなの、ニュージーランドを好きにならないわけがなかったのです。

本当に、関わってくれた人の気持ち全部が嬉しくて、今思い出してもたまりません。

その後私は大聖堂で吹き始めてから3ヶ月で約束通りバスキングをやめ、南島を回る旅に出ました。

もちろんオカリナを、行った先々の素晴らしい景色の中でバスキングではなく、一人(もしくはそこで出会った旅仲間と)気持ちよく吹きながら。